- Qアセクシュアル・エリート主義(アセクシャル・エリート主義)とは何のことですか?
- A
アセクシュアルの定義を、性的魅力ではなく性的行動に基づいて単純に考えようとする人、もしくはその考え方のことです。現在の多くのアセクシュアル・コミュニティではこの考えは支持されていません。
アセクシュアル・エリート主義?
「アセクシュアル(アセクシャル)」っていうのは「他者に性的に惹かれない」という性的指向を意味するんですよね?
ざっくり説明するとそんな感じだね。世界最大のアセクシュアル団体「AVEN」のウェブサイトでは「性的魅力を経験しない人、もしくは性的関係を持ちたいと本質的に切望することがない人」と定義されている。これは以前にも説明したね。
うん。それはわかったけど、でもアセクシュアルを「性行為をしない」「性欲が無い」とか、もっとわかりやすく定義して説明はしないの? 「他者に性的に惹かれない」とか「性的魅力を経験しない」とかだと回りくどい説明に思えるけど…。
それはね、いろいろ議論の歴史があるんだよ。
歴史?
まず「アセクシュアル」という言葉は100年以上前から特定の性的少数者を指すものとして使われていたんだけど、共通認識の定義というのは無く、曖昧だった。そこで2000年代になってようやくアセクシュアルの定義を考えようということになり、先ほども挙げたAVENのようなインターネット・コミュニティが中心になって議論が起こったんだよ。
そもそも定義しないといけないの?
まあ、もちろん絶対に必要だというわけではないし、定義を全員に押し付けるものでもない。ただ、何かしら議論したり、活動したり、説明したりするときに、やっぱり定義がちゃんとある方がスタンスが固まってブレないでいられる。どんな言葉にも「意味の説明」はあるものだし、「アセクシュアル」という言葉にも「それが何を意味するか」という共通認識はあった方がいいよね。
で、定義の議論が始まった…と。それですぐ決まったの?
いや、それが多少揉めてね…。そのときに論争になったのが、アセクシュアルを「行動」で定義するべきかという話なんだ。
行動? どういうこと?
つまり、アセクシュアルというのは「性行為などの性的行動をしたことがない人・したくない人」を指す…という考えで定義をしようとする当事者が一部にいたんだよ。
ふ~ん…。
もうちょっと言い方を変えると「アセクシュアルというからには、性的行動をとっていないものであろうし、性的行動に拒否感があるのが当然だ」という考えでもある。
なんかちょっと…定義している範囲が狭いような…。
そう、この一見すると最も単純な「行動」に基づく考え方は、かなり狭い範囲を対象としてアセクシュアルを定義している。そしてこの考え方には他のアセクシュアル当事者から批判が噴出したんだ。
へぇ~。
この「行動」に基づいてアセクシュアルを定義する人やその考え方は「アセクシュアル・エリート主義(asexual elitism)」と呼ばれ、結局、アセクシュアル・コミュニティの多くはその考えを支持せず、「他者に性的に惹かれない」「性的魅力を経験しない」という説明でアセクシュアルを定義することに落ち着いたんだよ。
なぜ「行動」で考えるのはダメなのか?
アセクシュアル・エリート主義ね…。でもなんで「行動」に基づいてアセクシュアルを定義するのはダメなの?
まず「自分はアセクシュアルかも?」と考えて集まってきた人たちの中には本当にいろんな人がいる。例えば、性嫌悪がある人、ない人。性的行動を一切しない人、することもある人。
うんうん。
そういったコミュニティの顔触れがあるという実態の中で、一部の限られた当事者だけをアセクシュアルであると定義するというのは、それこそ排外主義的になってしまう。
排外主義というのは一部の人を排除・攻撃する考え方のことだね。
それに「行動」で性的指向を定義するのは根本的におかしい。考えてみてほしい。同性の恋人が実際にいたり、同性と性行為したことがある人だけが同性愛者を名乗れると定義するのはあまりに理不尽でしょう?
そうだね。行動や交際歴とかではなく、同性に惹かれるならその人は同性愛者だよね。性的行動をともなわなくても…。
異性愛だって同じ。そして無性愛もね。要するに性的指向自体は「行動(action)」ではなく「魅力(attraction)」で定義される。それが一般的な認識だよね。
性的指向全般で考えると確かに「行動」だけで定義するのはおかしいというのがわかるね。
それに「行動」で定義すると、何らかの理由で行動がとれない人…例えば「障害」の有無だったり、トラウマによる心理的な問題だったり…そういう事情を抱えている人を定義の蚊帳の外に置いてしまうことになりかねない。
なるほど、行動というのはその人の能力にも関わってくるものだよね。行動力がある人もいれば、ない人もいるし…。でも「性欲」では定義しないのはなぜ?
性欲も行動と直結して考えられやすいし、性欲は意味しているものが曖昧で共通認識が得づらい。このあたりは別の疑問として説明はしたけど…。
アセクシュアルの定義というと「なんでこう説明するの?」「別にこう説明してもいいでしょ?」みたいな疑問が湧き、いちいちうるさいんじゃないかと思ったりもするけど、こうやって議論の歴史があることがわかると理解しやすいね。
アセクシュアルは包括的な概念
ともかく今はアセクシュアルというのは包括的な概念として当事者のコミュニティでは受け入れられているよ。
アセクシュアルにもいろいろな人がいるってことだね。
それは個別のマイクロラベルとして説明もしているので、それらを参照にしてほしいけど。
グレーセクシュアル、デミセクシュアル…他にもいっぱいあったね。
もちろんアセクシュアルの人の中には「性的行動を一切とらない人」や「性的行動を拒絶する人」もいる。その人たちを追い出すわけじゃない。ただ、アセクシュアル・エリート主義のような狭い定義はしませんよ…というだけ。
多少の違いはあるけど、同じアセクシュアルとして連帯していきたいね。
アセクシュアルの定義が落ち着いた今、アセクシュアル・エリート主義という言葉は現在はあまり目にしなくなったし、それは初期の定義における議論が紛糾していた時代を思い出させる懐かしい言葉になっている。でも覚えておく意味はあると思う。
どうして?
今もときどき「アセクシュアルとは何か?」と定義から説明しないといけないことはある。そのときに「なぜ“性的行動をとらない人”や“性欲が無い人”と説明しないのか?」と疑問が浮かぶこともあるでしょう。そんな場合は「アセクシュアル・エリート主義というものが昔はあってね…」と歴史を説明すれば納得してもらえやすいんじゃないかな。
どうしてこの定義になったのかという議論の経緯が見えるのは大事だね。
アセクシュアルに限らず、どんなマイノリティのコミュニティでもそうだけど、当事者間で優劣をつけたり、当事者内の他の側面を排除したり、そういう包括性をないがしろにする考えは、当事者からの声でも受け入れられない。目指すのは平等なのだから。
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- アセクシュアル(アセクシャル)は性嫌悪があるのですか?
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編集部コメント
アセクシュアルは性的指向であり、スペクトラムがある包括的な概念です。定義について言及する際はこの包括性を意識し、言葉を慎重に選び、これまでのコミュニティの議論を踏まえ、適切に説明するように心がけましょう。
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