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「アセクシュアル・アロマンティックの人が嫌い・受け入れられない」は個人の意見なので許されますか?

個人の意見だから許される?
Q
「アセクシュアル・アロマンティックの人が嫌い・受け入れられない」は個人の意見として認められるものですか? その立場も多様性のひとつですか?
A

いいえ。そうした主張は差別に該当し、ヘイトスピーチとして糾弾されるでしょう。「あくまで個人の意見」や「これも多様性だ」という言葉で誤魔化すことはできません。

“嫌うこと”も言論の自由? 多様性?

こうはい
こうはい

同性愛者やトランスジェンダー、それにアセクシュアルやアロマンティックもそうだけど、社会で生きていると差別や偏見に直面することも多いですよね。

せんぱい
せんぱい

そうだね。残念だけどそれは現実だね。多様性のある社会にはまだほど遠い。

こうはい
こうはい

でも「性的少数者のことが嫌い」という意見も多様性のひとつだから認めるべきだ!と主張する人も見かけるけど…。

せんぱい
せんぱい

う~ん、「同性愛は嫌い」「トランスジェンダーと一緒にいたくない」「アセクシュアルはおかしい人だ」…こういう意見は本当に「多様性」なのかな?

こうはい
こうはい

ええと…個人の意見は自由だから、それを否定するなと言いたい人もいるってことなのかな…。

せんぱい
せんぱい

まあ、そういう人がいるのはよく知ってる。そして個人が何を考えても確かに自由だよ。例えば、極論だけど、頭の中で「人を殺したい」と思っているだけなら別に警察に逮捕されないよね。

こうはい
こうはい

そうですね。頭の中の思考を調べられることもないし。

せんぱい
せんぱい

でも「人を殺したい」と公で口に出したり、SNSで書いたりしたらどうなるだろう?

こうはい
こうはい

通報されて警察が飛んでくる?

せんぱい
せんぱい

少なくとも犯罪として成立する可能性がじゅうぶんに高い。本人が個人の意見を言っただけだといくら主張してもね。なぜならそれは「人に危害を加えること」だからだ。実際に殺さなくても「殺したい」なんて言ったら恐怖を与えるのは簡単に想像がつくよね。

“嫌っているだけ”では済まされない

せんぱい
せんぱい

最初の話に戻そう。「○○が嫌い」…ここの「○○」は何かしらの性的少数者の単語が入ると想像してね。とにかく性的少数者を対象に「○○が嫌い」と言うのはどうなのか。

こうはい
こうはい

「殺したい」よりは直接的ではないけど…。

せんぱい
せんぱい

でもこれは「トマトが嫌い」なんていう個人の好みを主張するのとはわけが違ってくるんだ。

こうはい
こうはい

具体的にはなぜですか?

せんぱい
せんぱい

なぜなら性的少数者の人は今も社会で多くの実害を被っているからだ。

こうはい
こうはい

例えば…?

せんぱい
せんぱい

例を挙げると、職場をクビになる、イジメを受ける、大学を退学に追い込まれる、家庭から追い出される、住む家が見つからなくなる、結婚が認められない、子どもが持てない、社会保障を受けられない、鬱病や摂食障害などの病気になる、望まない手術を強要される、自殺に追い込まれる、殴ったりなど暴力を振るわれる、性的暴行を受ける、殺人のターゲットにされる…。

こうはい
こうはい

うう…酷いことばかり…。

せんぱい
せんぱい

細かい事例ならもっとある。そしてこれは全部日本で現在進行形で起きていることだ。海外であれば処刑される人だっている。

こうはい
こうはい

報道はあまりされていないけどね…。

せんぱい
せんぱい

そして忘れてほしくないことだけど、これらのおびただしい数の性的少数者が受ける実害の根底にある原因、それは「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という個人の意見という名目で発せられる嫌悪感の集合体なんだよ。

こうはい
こうはい

自分の個人的意見だと思っていても…それはどこかで取り返しのつかない実害に繋がっている?

せんぱい
せんぱい

そう。要するに「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」というのは実質的にはそういう実害を与える側に立っているのと同じ。加害者なんだよ。自分が直接手を下さなくてもね。

こうはい
こうはい

つまり「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という主張は「人に危害を加えること」と同じってこと? 個人の意見では済まされない?

せんぱい
せんぱい

そういうことだ。とても重大な責任が生じるね。

「私は当事者だけど別に気にしない」の問題点

こうはい
こうはい

でもさ、性的少数者である当事者の人が「私は別に気にしない」「いちいち過剰に反応しすぎだ」って言うこともあるよね。

せんぱい
せんぱい

その当事者がどういうつもりでそう言ったのかはわからない。でも一部の当事者がOKだと言ったから「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という主張も許される…ということにはならないよ

こうはい
こうはい

当事者が許容しても?

せんぱい
せんぱい

まず前提として全ての性的少数者の当事者が同じリスクを被っているわけではないんだ。ある当事者は全然危険を感じずに生きているし、別の当事者は明日を生きるのさえも苦悩していたりする。

こうはい
こうはい

当事者でも全然違うんだね。

このように同じ性的少数者の集団内であっても、性別・人種・民族・職業・家族・病気・障がい・貧富などの状況が個々人で違うことを意識し、それら要素の組み合わせによって偏見や差別も異なってくることを認識しないといけません。これを「インターセクショナリティ」と呼びます。

せんぱい
せんぱい

「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という主張を受け入れると言えてしまう当事者は、きっとある程度の安全が確保できているんだろうね。でも自分さえよければ他の人はどうでもいいの?

こうはい
こうはい

自己中心的な考えだね。

せんぱい
せんぱい

他人の痛みや苦しみに鈍感なのかもしれない。もしかしたら世間に受け入れやすい「行儀のいい性的少数者」になるためにそんな主張をしたのかもしれない。どちらにせよ当事者であってもそんな主張をすれば、やっぱり非難されることになるだろうね。

こうはい
こうはい

自分よりツライ立場にいる当事者のことを考えないとね。

他人を傷つけることは多様性ではありません

せんぱい
せんぱい

「多様性(ダイバーシティ)」という言葉は最近もよく目にするものになったよね。どういう意味だと思う?

こうはい
こうはい

なんかこう…いろいろ種類があって賑やか…みたいな? 個性が咲き乱れている感じ? そのために何でも認め合いましょう…っていう。

せんぱい
せんぱい

世間的にはそんなイメージなのかもしれない。でも「多様性」というのは「何でも認め合う」という意味ではない。そのシステムの中で弱い立場にいるものを保全できるということを大前提に、多種多様なものが相互関係のもとで機能し合う…そういう状況のことを「多様性」と呼ぶんだ。

こうはい
こうはい

多様性なんだったら何でも認めろよ!って考えは全然多様性じゃないんだね。

せんぱい
せんぱい

だから多様性の名のもとに「他人を傷つけること」も許されない。

こうはい
こうはい

そうだね。それこそ多様性ではなくなるもんね。

せんぱい
せんぱい

そして「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という意見は多様性として認めることはできない。多様性を脅かすからね。

こうはい
こうはい

うんうん。

せんぱい
せんぱい

あらためて言っておこう。当事者でなくても当事者であっても「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という主張をしたり、その主張を擁護すればそれは差別に該当するし、ヘイトスピーチとして糾弾され、状況によっては犯罪として有罪となることもある。もちろんそういう主張を掲載したメディアも同様に非難されるだろうね。

こうはい
こうはい

今はヘイトスピーチを処罰対象として規定する自治体も出てきたしね。ただのちょっとしたアンチ発言のつもりでも自分が思っている以上におおごとだよね。

せんぱい
せんぱい

勘違いしないでほしいのだけど、別に「性的少数者のことを好きになれ」とか強制するつもりはない。ただヘイトスピーチに該当する主張はダメだということだ。

こうはい
こうはい

頭の中で嫌いだと思うならいいけど、主張を世間に発信したらもう言い逃れはできないね。

せんぱい
せんぱい

知らなかったでは済まされない。これは性的少数者を含めて差別を論じるうえでの基本中の基本だからね。よく肝に銘じておこう。

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編集部コメント

アセクシュアルやアロマンティックも例外ではなく「性的少数者のことが嫌い・受け入れたくない」という主張は、個人の言論の自由や多様な意見のひとつとしては正当化できません。ヘイトスピーチとして世界の多くの国々で犯罪や倫理違反として扱われます。また「私は当事者だけど別に気にしない」と語る当事者の声を掲載して中立風な記事を発信するメディアも一部で確認されますが、そのような行為は当事者を盾にした悪質なものであり、看過することはできません。