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マリリン・モンロー:アセクシュアル・アロマンティックだった(かもしれない)歴史上の人物②

マリリン・モンローはAセクだった?

アセクシュアル(アセクシャル)…だったかもしれない。そんな歴史上の偉人たちが存在します。

2022年9月28日にはそのひとりを描いた映画『ブロンド』がNetflixで独占配信されるので、これを機に紹介したいと思います。

その人物とは「マリリン・モンロー」。今回はそんなマリリン・モンローのアセクシュアル(かもしれない)な一面を深堀りします。

「マリリン・モンロー」とは?

性的魅力があってそれによって圧倒的な人気を得ている人物のことを「セックスシンボル」という呼び方があります。このセックスシンボルという言葉が初めて大々的に用いられたのが1950年代のハリウッドを彩ったセクシーな女優たちでした。その代表とも言えるのがマリリン・モンローです。

当時、社会の「性」に対する認識が変わり始めており、それまでの厳格に抑圧されて管理されるべき不道徳な性というイメージから、自分自身を表現する文化や芸術としての性というイメージに転換し、いわゆる「性の革命」が起きていました。

そんな時代の中、マリリン・モンローは1950年代初めから喜劇映画にいくつか出演し、『紳士は金髪がお好き』などの話題作もあって、「金髪美女」の典型的な象徴として大人気となりました。

1959年には『お熱いのがお好き』でゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ映画部門で主演女優賞を受賞し、映画界のスターとして輝きを放ちます。

そのセクシーな魅力もあって世間の注目度は高く、スキャンダルなネタを求めてメディアも群がったりするなど、人生の苦労は多かったようです。

1962年8月4日、ロサンゼルスの自宅で亡くなっているのが発見されます。36歳という若さでした。

死後もなお、マリリン・モンローの人気は衰えることなく、伝説的な存在として愛され、今に至っています。

マリリン・モンローはアセクシュアルだった?

このマリリン・モンローですが、アセクシュアルだったかもしれない…という説もあります。

にわかには信じがたい人もいるでしょう。あのセクシーなアイコンとして認知されているマリリン・モンローがアセクシュアルであると評価できるポイントがどこにあるのか…。

マリリン・モンローは何度か結婚を経験しています。最初は16歳のとき。隣人で21歳の工場労働者ジェームズ・ドハティと結婚しましたが、夫婦仲は悪く、ドハティが出征してしまってからは全然会わなくなったようです。女優として大成功をおさめた後、次にプロ野球選手のジョー・ディマジオと結婚します。しかし、ディマジオは支配欲が強く、暴力も行っていたともされ、離婚となります。そして今度は劇作家のアーサー・ミラーと結婚。この頃にはマリリン・モンローはセックスシンボル路線から離れ、実業家として新しい一面を見せていました。それでもミラーともまた離婚してしまいます。

この他にも多くの男性との交際の噂が絶えず、こうした話題に常に付きまとわれていました。このような男性と長続きせず、無数の交際があった背景として、一般にはマリリン・モンローの自由奔放な性格が挙げられがちです。マリリン・モンローは流産の経験があるという話はありますが、子どもはいません。

また、マリリン・モンローは女性とも関係を持っていたとも言われていますが、これも長くは続かなかったようです。

そのマリリン・モンローの新しい評価の一面を見せたのが、彼女の死後に出版された自伝「My Story」です。その中で「性について関心が無かった」ということを打ち明けています。また、「なぜ周囲の人がこんなに自分に魅了されるのか理解できなかった」という趣旨のことも書いています。

これらの記述や人生の背景から、マリリン・モンローは何らかのアセクシュアルのスペクトラムであったのではという説がにわかに持ちあがったというわけです。

マリリン・モンローが生きていた時代にも「アセクシュアル」という性的指向はありましたが、あまり知名度はありませんでした。もしアセクシュアルという言葉がもっと有名であれば、マリリン・モンローはアセクシュアルを自分に用いていたかもしれません。残念ながら若くして亡くなってしまったということもあり、彼女の本人の意思を確認できる情報は乏しいです。

Aセクの人でもセクシーさを身にまとえる

もちろん故人の性的指向を勝手に断定できません。マリリン・モンローはアセクシュアルだったと決めつけるわけにもいきません。ただ、そうだったかもしれないと考えることはできるでしょう。

そもそもなぜ「マリリン・モンローはアセクシュアルだった」という説がとくにアセクシュアル当事者の間で支持されるのか。それはアセクシュアル当事者が抱えがちな偏見や人生の状況と一致することが多いからです。

アセクシュアルの人は「他者に性的に惹かれない」わけですが、そう言うと「セックス文化とは縁遠い人間で、地味な人」みたいな先入観を持たれやすいです。確かにそういう当事者もいるでしょうが、全員がそうとは限りません。セクシーなファッションを身に着けるのが好きなアセクシュアル当事者もいますし、自分自身は無意識に性的魅力を周囲に解き放ちつつも性的魅力に紐づかない人間関係を多くの人と求めようとする人もいます。深い親密な関係にならないと相手に性的魅力を抱かない人もいれば、性的魅力を感じるのは最初の一瞬だけで付き合い始めるとすぐに性的に惹かれなくなる人もいます。

このようなアセクシュアルの多様な複雑さを理解されずに悩んでいる当事者はたくさんいます。アセクシュアルというのは外面の言動からは可視化しづらいものです。

マリリン・モンローは性的魅力の象徴でしたが、それは周囲がそうみなして盛り上がっていただけでした。アセクシュアルの当事者はそんなマリリン・モンローの内に秘めた本音に共鳴し、自分を重ね合わせやすいのです。