- Q私は当事者ですが、アセクシュアル(アセクシャル)やアロマンティックが差別されていると世間では言われていても、自分ではそうは思わないです。これはオカシイことですか? 私が間違っているのでしょうか?
- A
「差別」は社会構造の不平等にともなうものであり、個人の経験や自覚だけでは把握しきれないことが多々あります。「差別」を認識できるかは人それぞれ違ってきます。「差別」を認識できなくてもオカシイわけではありませんが、自分が「差別」を認識できないからといって、「差別」そのものを否定することはできません。
そもそも「差別」ってなに?

性的少数者(LGBTQ)の人たちは差別されている…という話はよくあるよね。

そうだね。差別の問題はよく持ち上がるトピックだね。

アセクシュアル・アロマンティックといった人たちも差別されている…とも聞くけど…

アセクシュアルやアロマンティックでも、差別という問題とは無縁ではないよ。日々の日常で差別を感じている人もたくさんいると思う。

でも思うのだけど、もし差別を感じなかったら? アセクシュアル・アロマンティックの当事者であっても「差別を受けている」と思わなかったらどうなの?

そうだね。それについて話しを深める前に、まず「差別」って何だろうか?ということから始めようか。

「差別」とは何か? う~ん、あらためて聞かれると答えづらいなぁ…

これはちゃんと考えたこともない人も多いけど、とても大事なことだよ。

やっぱり誰かを嫌な気持ちにさせたり、傷つけたりするのが、差別なんじゃないかな。

じゃあ、サッカーをしていて相手の人の顔に蹴ったボールが直撃して怪我させたら、傷つけたことになるから、これは差別だと思う?

いや、それは差別ではないでしょ。偶然の事故だから。

故意に蹴って怪我させようと思っていたらどう?

酷い行為ではあるけど、差別とはまた違う気もする…。う~ん、差別って何なんだろう。考えれば考えるほどわからなくなってきた…

「差別」という言葉はよく使われるけど、その意味をしっかり考えてみると、実はとてもよく誤解されている概念なんだよ。

どんな誤解?

「差別」というのは「相手を傷つける・不快にさせるかどうか」「悪意があったかどうか」…そういうのは実は関係ないんだ。

え? そうなの?

確かに差別の結果、傷ついたり、不快に思ったりする人は実際にいるし、悪意がともなっている差別もあるよ。でもそれが差別の判断基準になるわけではない。

じゃあ、差別ってなに?

差別というのはね、社会構造の不平等によるものなんだよ。
差別を認識できるかは人それぞれ違う

社会構造の不平等ってどういうこと?

これはひとことで説明するのが難しい。私たちは社会の中で生きている。これはわかるよね。

うん。まあ、漠然とはわかるかな。

その社会には自分以外にもとてもたくさんの人が一緒に生きているわけだけど、みんな平等にはなっていないことがある。これはその社会の構造の欠陥なんだよね。

具体的にはどんな?

例えば、男性と女性とでは同じ仕事量で同じ時間働いていても、もらえる給料や待遇に差があることがある。女性の方がだいたい不利だったりする。これは社会構造が男性中心に作られていて、女性にマイナスに働いているからであり、これこそ「女性差別」なんだよ。

そういう社会の構造に目を向けるのって知識がないとわからないこともあるよね。

そこなんだよね。社会構造というのは人によって認識できるかどうかにものすごく差がでやすいんだ。社会構造を知るには、政治や歴史についての知識が必要になることもあるし、簡単ではない。

複雑そうだね。

しかも社会構造というのはこの不平等を一見するとそうではないかのようにカモフラージュして隠していることもある。さっきの労働における女性差別の話だって、「女はそもそもスキルが低い」とか「女は出産をするから仕事に向いていない」とか、理由を並べてそれを差別に思わせないようにすることができる。

複雑なうえに厄介だな…

だから差別を認識できるかは人それぞれ違うのは当たり前なんだよ。ある人はこれは差別だとわかる。でもある人は同じことでも差別だと認識できないこともある。当事者であっても個人でバラバラなんだよね。

差別かどうかの判断を、個人の経験や自覚に頼ってしまうわけにはいかないんだね。

結構難しい問題だからこそ、専門家などの見識を重視することが求められるんだけどね。
自分なりに差別と向き合うこと

アセクシュアル・アロマンティックの当事者であっても「差別を受けていると思わない」としても変なことではないんだね。

うん。これは社会構造の不平等を認識できるかの問題であるから。もちろん「差別を受けたと感じたことがない」なら、それはそれで良かったねという話ではあるのだけども、例えば、生きづらさを感じたり、傷ついたと思っても、自分では差別とは感じないという人もいる。

それはなんでだろう?

その場合、「差別とは思わない」理由はいくらか考えられる。まず自分のその経験を社会構造の不平等と接続して考えることをあまりしたことがないのかもしれない。それは社会構造を学んでいくうちにいろいろ認識も深まるので、あとあと「あれは差別だったんだな」と実感できたりもする。

社会構造に詳しくなるってどうすればいいの?

専門的なメディアや書籍を読んだり見たり、認識を深める方法はいくらでもあるけど、別に焦る話じゃない。あなたが劣っているわけではないのだから。

そうだね。後ろめたく思う必要はないね。

「差別とは思わない」理由の別の背景として、自分自身を守るために認識を無意識に停止させているかもしれない。これは差別だと認識してしまうと心が傷つくので、それから守ろうと現実逃避的に振舞ってしまうパターンだね。当事者にはよくあることだよ。

そういうのもあるのか…

これも何も悪いことじゃない。その当事者の健康や生活と向き合いながら、どう差別の認識と付き合っていくか…ゆっくり模索すればいいから。

「自分は差別を受けてきたんだ」と自覚することになっても、ショックを受けすぎないようにしないとだしね…

ただひとつ気を付けないといけないのは、「自分は差別と感じないからといって、その差別を全否定することはできない」ということ。

「私は差別だと思わない!だから差別なんて存在しない!」…って言い放つ当事者もたまにいるけど、そういうのはダメってことだね。

そう。差別は認識できるかどうか人それぞれだよ。自分の認識が全てだと思わないで、常に視野を広く持ち、自分が認識していない他者のことを尊重しよう。

だって差別に苦しんでいる人がいるのは事実だもんね。自分がたとえそうでなくとも…

当事者にとって「差別があるかどうか」を論じることは不毛な議論になることも多い。それよりも「差別とどう向き合うか」を自分なりに考えてみよう。自分が被害者かもしれないし、加害者かもしれない。世の中にはいろいろな種類の差別がある。考える機会を少しずつ増やしてみるのもいいんじゃないかな。
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編集部コメント
アセクシュアルやアロマンティックの当事者が「自分は差別を感じていない」と言っていたとしても、それが差別の有無を判断する根拠にはなりません。メディアがこうした当事者の意見を恣意的にピックアップして利用することは、差別の問題を矮小化するような行為となってしまいます。当事者の差別に対する認識は人それぞれ異なることに留意してください。メディアが差別の詳細について報じたいのであれば、当事者ではなく専門家に取材することを強く推奨します。
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