2023年6月16日、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」は参院本会議で、自民、公明、日本維新の会、国民民主の4党の賛成多数で可決、成立しました。しかし、この通称「LGBT理解増進法」はセクシュアル・マイノリティの当事者団体や専門家から厳しく批判されています。
LGBT理解増進法までの経緯
日本は先進7カ国(G7)で唯一、性的指向や性自認に基づく差別を禁じる法令を定めていません。そんな中、日本が議長国を務めたG7広島サミットが2023年5月19〜21日、広島県内で開かれたものの、日本にそんな資格はあるのかという批判が巻き起こっていました。結果、G7の首脳宣言では、ジェンダーに関する項目で「性自認、性表現あるいは性的指向に関係なく、暴力や差別を受けることなく生き生きとした人生を享受することができる社会を実現する」と明記されましたが(ハフポスト)、海外メディアも「LGBTQの権利に関する異端として目立つことになる」と冷ややかな目線でした(PRIDE JAPAN)。
2023年2月には荒井勝喜首相秘書官が、セクシュアル・マイノリティについて「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」などと発言したことが報じられ、日本政府内における差別的思想が浮き彫りにもなっていました(松岡宗嗣)。この裏には保守派の存在が分析されています(古谷経衡)。
一方で、頑なにセクシュアル・マイノリティの権利や平等を否定して慎重姿勢を崩さない政治家とは違い、日本の世論は大きく変化しています。同性同士の結婚(同性婚)についても、同性婚を法律で認めるべきかの最新のアンケート調査では「認めるべきだ」は72%、「認めるべきではない」は18%となっています(朝日新聞)。また、同性婚を認めないのは憲法に違反するとして当事者が訴えた裁判では、全国5ヵ所の一審判決のうち4つが違憲判断となっています(PRIDE JAPAN)。他にも、トランスジェンダーがジェンダー・アイデンティティに沿ってトイレを利用することについて「どちらかといえば抵抗はない/抵抗はない」と回答した人は7割となり、過去調査よりも上昇しています(株式会社LIXIL)。
こうした背景もあって、日本でも一刻も早いセクシュアル・マイノリティを対象にした法律の制定が求められていました。
そうして検討されたのがこの「LGBT理解増進法案」でしたが、提案当初から専門家や当事者団体からは懸念の声が上がっていました。
一番の問題は「差別の禁止」ではなく「理解の増進」に法律が主眼を置いてしまっていることです。セクシュアル・マイノリティの平等を求める活動を展開する一般社団法人「fair」代表理事の“松岡宗嗣”氏は「具体的な差別的取扱いの被害の解決に繋がらない」「理解増進が権利保障を阻害する言い訳に使われる可能性がある」「地方自治体の条例整備を後退させる可能性がある」などの問題点を指摘しています。
そうした中、約2年前に超党派で合意されたはずのLGBT理解増進法の「合意案」は無かったことにされてしまい、与党は内容を後退させた「修正案」を国会に提出。立憲民主党・共産党はもともとの「合意案」を提出しましたが、日本維新の会・国民民主党は与党の修正案をさらに後退させた「独自案」を提出し、合計3つの法案が並ぶという複雑な事態となりました(松岡宗嗣)。
しかし、自民党と日本維新の会の間で協議が行われ、与党案にほぼ維新・国民による独自案を丸のみする形で修正が合意。そして、衆議院内閣委員会で「再修正案」が審議、2023年6月16日、「LGBTなど性的少数者への理解増進法案」は参院本会議で、自民、公明、日本維新の会、国民民主の4党の賛成多数で可決、成立しました(東京新聞)。
LGBT理解増進法の問題点
成立した法律では、「差別は許されない」という記述を「不当な差別はあってはならない」に変えています(朝日新聞)。「全ての国民の安心に留意する」「そのための指針を定める」といった条文が新設されたり、学校教育における「家庭や地域住民、その他の関係者の協力」が必要といった文言も追加されたりしました(松岡宗嗣)。
これにともない、当事者団体などはこのLGBT理解増進法に抗議する集会を起こしています(PRIDE JAPAN)。
「LGBT法連合会」の“神谷悠一”事務局長は「当事者は(多数派に不安を与えないよう)『わきまえる』ことになり、萎縮した取り組みが広がることを懸念する。このままの形で法案が通ることはあってはならない」と訴えています(毎日新聞)。そして「日本においてLGBTに関する法の制定を心待ちにしてきた多くの当事者を裏切るものであり、国際社会や、日本社会の多くの支援の輪の広がりに対して、敵対的な位置付けの法案であると言わざるを得ない」と声明を出しています(LGBT法連合会)。
国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」日本代表の“土井香苗”氏は「マイノリティーの人を抑えつける意味合いをはっきり持つ。この文言の社会に与える影響は大きく、大変な危機感を持っている」と指摘(毎日新聞)。
「労働政策研究・研修機構」副主任研究員の”内藤忍”氏は「多数派への配慮は指針まで作って運用する一方、LGBTQに対する差別禁止規定はなく、権利保障がアンバランスです。あたかもLGBTQが国民の安全を脅かすかのような誤った前提に立つ文言はむしろ分断を招き、法の理念である共生社会の実現の方向とは逆といえます」と説明(東京新聞)。
「Marriage For All Japan」代表理事の“寺原真希子”弁護士は「国が市民活動の意義を理解せず、軽視している表れで、国際的な潮流にも逆行している。民間団体や企業の活動の萎縮が懸念される」と話しています(東京新聞)。
「Transgender Japan」共同代表の“畑野とまと”氏は「この法律にそっくりな法律を持っている国が一つあります。(同性愛に関する宣伝を禁止する)ロシアの『ゲイ・プロパガンダ』禁止法という法律です。日本中のプライドパレードができなくなる、危機に陥る可能性すらあります」と批判(ハフポスト)。
他にもこの法は誰のための法律なのか、そのあやふやさに困惑する当事者は後を絶ちません(毎日新聞;朝日新聞)。
アセクシュアルやアロマンティックにどう関わる?
この「LGBT理解増進法」はセクシュアル・マイノリティを対象範囲としているので、当然、アセクシュアルやアロマンティックの当事者も無関係ではありません。
セクシュアル・マイノリティの平等や権利は、本来はアセクシュアル・アロマンティックの人たちにとっても重要ですが、今回の法律によってどんな影響があるのでしょうか。
ただちに大きな影響はないとも言えます。罰則はないので法律の施行によって直ちに市民生活が変わることはないと指摘されています(東京新聞)。しかし、それこそが最大の問題で、それはつまり何も改善されないことを意味し、現状の不平等な扱いが続くことになってしまいます。
アセクシュアル・アロマンティックの平等や権利というのは、あまりトピックとしてあがりづらい面もありますが、以下のような項目が実際はあります。
- 「アセクシュアル」「アロマンティック」といった用語の適切な認知の向上。例えば、学校での教育など。
- 「性愛至上主義」「恋愛伴侶規範」といった規範の押し付けをやめること。例えば、教育、医療、職場などでの考慮。
- メンタルヘルス・ケアなどを必要とする当事者への適切なサポート。医療の平等なアクセス。
これらは法律によって推し進めるべきことであり、政府や社会の果たすべき役割です。アセクシュアル・アロマンティックの当事者の暮らしやすさにも直結します。
あらためて全てのセクシュアル・マイノリティにとって本当に必要な法律が日本には求められています。