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アセクシュアル(アセクシャル)やアロマンティックを描いた作品を見ても自分と一致すると感じたことはありません。これは私が変なのですか?

AセクAロマの作品が自分と一致しない
Q
アセクシュアル(アセクシャル)やアロマンティックを描いた作品を見ても同じ性的指向や恋愛的指向であるはずの自分の経験と一致すると感じたことはありません。これは私がおかしいのですか?
A

いいえ、おかしくはありません。何も心配はいりません。

自分と重なるキャラクター

こうはい
こうはい

他者に性的に惹かれない「アセクシュアル」や、他者に恋愛的に惹かれない「アロマンティック」を描いた作品ってチラホラあるよね。

せんぱい
せんぱい

数は圧倒的に少ないけど、漫画、小説、ドラマ、映画…と、用語の認知度向上とともにだんだん増えてきてはいるね。

こうはい
こうはい

偏見で描かれていたらガッカリだけど、適切な描写だったら嬉しいよね。

せんぱい
せんぱい

なかなか難しいことではあるけれど、誠実な作り手の人もいるし、ちゃんとした描写の作品も確かにあると思うよ。

こうはい
こうはい

自分の体験と共感できるようなキャラクターがいるとそれだけで喜んでしまったりするね。

せんぱい
せんぱい

アセクシュアルやアロマンティックの人はただでさえ共感できるフィクションのキャラクターが少なかったりしてきたからね。

こうはい
こうはい

恋愛するキャラばかりだったりね…。

せんぱい
せんぱい

うん。だからそういう自分と重ねるキャラクターがいるというだけで当時者にはすごく価値があることだと思う。

こうはい
こうはい

でもさ、そうじゃなかったら…?

せんぱい
せんぱい

というと?

こうはい
こうはい

アセクシュアルやアロマンティックのキャラクターがでてくる作品だったのに、自分と重なる感じがしなかったら?

せんぱい
せんぱい

なるほど。アセクシュアルやアロマンティックを描いた作品を見ても自分と一致すると感じない…ということだね。

こうはい
こうはい

そうなったらどうしよう…って不安になっている人もいるんじゃないかな。

せんぱい
せんぱい

そうだね。とくに周りの他の当事者はその作品を見て「自分に重なる!」と喜んでいるけど、私だけイマイチ「自分に重なる!」という気持ちにならない…となったら…孤独に感じるよね。

こうはい
こうはい

そう、それってすごく怖いことだと思うし、だからアセクシュアルやアロマンティックを描いた作品は見ないことにしている…という人もいるよね。

重ならなくても大丈夫

せんぱい
せんぱい

まずアセクシュアルやアロマンティックを描いた作品を見ても当事者の自分と一致すると感じなかったとしても何も心配はいらないよ。大丈夫。

こうはい
こうはい

でも一致しないのは変じゃない?

せんぱい
せんぱい

そんなことはない。考えてもみてほしい。異性愛者の人は異性愛を描いた恋愛作品を見て全部の作品に「自分と重なる!」ってなるだろうか?

こうはい
こうはい

さすがに全部はそうはならないか…。

せんぱい
せんぱい

そう。たとえ同じ性的指向や恋愛的指向のキャラクターだとしても、それありきで評価はできない。もっといろいろなこと、例えば、年齢、性別、住んでいる場所、性格…こういうのを総合して自分と重ねるのか考えるものだよね。

こうはい
こうはい

そうですね。そういう思考を無自覚のうちにやっているのかも。

せんぱい
せんぱい

「自分と重なる!」と思った人だって何をもってして重なると考えたのかは人それぞれだと思う。

こうはい
こうはい

セリフひとつで共感する人もいれば、物語の展開に共感する人もいるよね。

せんぱい
せんぱい

だから同じ性的指向や恋愛的指向というだけで自分と重なるかを無理に考える必要はないよ。

こうはい
こうはい

そっか、まあ、そうだね。

せんぱい
せんぱい

異性愛者でも100人いれば100通りの種類があるし、同性愛者でも100人いれば100通りの種類がある。そしてもちろんアセクシュアルやアロマンティックの人でも100人いれば100通りの種類があるんだよ。

こうはい
こうはい

自分と重ならないことに不安を感じる必要はないね。

“同じ”ではなく”違い”を知るのも

せんぱい
せんぱい

また別の考え方としては、そもそも作品は自分と一致するという「共感」だけが全てじゃない。

こうはい
こうはい

それはつまり?

せんぱい
せんぱい

自分とは違う存在を知る…というのも大切なことなんじゃないかな。

こうはい
こうはい

自分とは違う人?

せんぱい
せんぱい

要するに、自分と同じアセクシュアルやアロマンティックだったとしても、こんなに価値観はバラバラなんだなと知るのは大事だよ。逆にアセクシュアルやアロマンティックではない人でも、案外と自分と価値観が似ている人もいるかもしれない。

こうはい
こうはい

なるほど。

せんぱい
せんぱい

作品を見るというのは、趣味にとどまらず、自分の視野を広げることにもなりうる。そうやって活用するのもいいんじゃないかな。

「同じ仲間」と「違う仲間」

せんぱい
せんぱい

これは作品を見るときだけの問題じゃないのだけど、どうしてもアセクシュアルやアロマンティックといった性的少数者の当事者は「同じ仲間」を探したくなるよね。

こうはい
こうはい

だって孤独を感じていたりするからね。

せんぱい
せんぱい

でもアセクシュアルやアロマンティックの交流会とかに参加すると、自分と同じ要素を持つ人も目にできるけど、同時に「こんなに同じ性的指向や恋愛的指向でも人によって違うんだ」ということもわかると思う。

こうはい
こうはい

確かにそうなるね。

せんぱい
せんぱい

だから「同じ仲間」を探すのと同じくらい「違う仲間」を見つけることも自分に意義があるかもしれないよ。そう考えてみると「自分と重なる同じ仲間を見つけなくては!」というプレッシャーが少し和らぐんじゃないかな。

こうはい
こうはい

ちょっと考え方を変えるのもいいかもね。

せんぱい
せんぱい

とはいっても、アセクシュアルやアロマンティックを差別的に描いた作品とかをわざわざ見る必要はないからね。そういうときは前評判とか感想とかを見て事前にチェックするしかないけどね。

こうはい
こうはい

自分なりのアセクシュアルやアロマンティックを描いた作品との付き合い方を見つけることだね。

せんぱい
せんぱい

自分と重なるキャラクターがでてくる作品に出会ってみたいという気持ちも当然のものです。アセクシュアルやアロマンティックを描いた作品はまだまだ少ないので、もっと作品数が増えるとそういう機会も増すでしょうね。

こうはい
こうはい

そういう世界になるといいな。

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編集部コメント

アセクシュアルやアロマンティックといったAスペクトラムを描いた作品を見て、当事者の自分と重ならないと感じても何も変なことではありません。当事者としてあなたが間違っているわけでも、認められない扱いになっているわけでもないので、安心してください。

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