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ニコラ・テスラ:アセクシュアル・アロマンティックだった(かもしれない)歴史上の人物①

ニコラ・テスラはAセクAロマ?

アセクシュアル・アロマンティック…だったかもしれない。そんな歴史上の偉人たちが存在します。

「7月10日」はそのひとりの誕生日です。

その人物とは「ニコラ・テスラ」。今回はそんなニコラ・テスラを紹介します。

「ニコラ・テスラ」とは?

皆さん、今や当たり前のように「電気」を使っていると思います。電気のない生活なんて考えられません。この電気を日常社会で身近にする土台を築いた人物こそ、発明家のニコラ・テスラです。

ニコラ・テスラはセルビア人の両親を持ち、1856年7月10日にオーストリア帝国(現在のクロアチア)で生まれました。幼い頃から勉学に励み、とくに数学で秀でた才能を見せ、工科大学へと進学。しかし、貧しい家庭で父の死によって授業料も払えなくなってしまい、やむを得ず中退。それでも独学で研究を続け、ハンガリーのブダペスト国営電信局に就職して働く傍ら、自身が考案した「交流電流」方式の活用に執念を燃やします。

有名なのはこのニコラ・テスラの考えた「交流」と、トーマス・エジソンの推進する「直流」という2つの電力事業形態を巡る争いであり、「電流戦争」と呼ばれて後世に語り継がれることになります。

そんな中でニコラ・テスラはどんどんと新しい発明を生み出します。高圧変圧器(テスラコイル)、無線トランスミッター、点火プラグ…。送電線ネットワークがいたるところに張り巡らせることができるようになったのも、ニコラ・テスラの「交流」のおかげ。電気関係だけでなく、現在実用化されている垂直離着陸機の初期アイディアとなるような特許も持っていました。

1884年にアメリカに渡って以降も、所持金も全くないまま研究にだけ没頭。生涯を研究に捧げ続けるというストイックな生活を送っていました。

1943年1月7日、マンハッタンのホテルで死去します。享年86歳でした。

ニコラ・テスラはアセクシュアルだった?

このニコラ・テスラですが、実は生涯に渡って独身を貫いたことが知られています。

だからといってモテなかったわけではないようです。ニコラ・テスラはかなりの美形として当時から話題であり、実際に多くの女性の関心をひいたそうです。発明家と言えばアインシュタインに象徴されるように見た目も変な人というイメージがありますが、ニコラ・テスラはハンサムでした。求婚されたこともあったらしいですが、断っており、結婚はおろか恋人がいたという記録もありません。同性の恋人が密かにいたという話もありません。

ニコラ・テスラはそんなに社交的なタイプではなかったとのことで、そもそも人との付き合いを避けていたのかもしれません。強迫性障害の一面があったという指摘もあり、極度の潔癖症で、握手も嫌がり、人との物理的な接触を避けるために手袋を着用していたという逸話もあります。

あるときは、恋愛やセックスについての考えが発明に関する創造力を妨げるとしばしば主張していました。

こうした人物のバックグラウンドから、今では「ニコラ・テスラはアセクシュアル・アロマンティックである」と信じている人は少なくありません。アセクシュアル・アロマンティックの歴史的著名人として真っ先に名前を挙げられ、アセクシュアル・アロマンティックのコミュニティではアイコンになっています。

AセクAロマの人は昔からいる

アセクシュアル・アロマンティックという性的指向・恋愛的指向は最近になって出現したわけではありません。そんな言葉がない時代から、それに該当しそうな人物は確かに存在しました。

今も社会で普通に使われている電気。スマホを充電するとき、部屋のライトをつけるとき、夜の道を照らす街灯を見かけたとき、もしくは恋人たちのロマンチックなスポットになっている煌びやかな光のイルミネーションや夜景を目にしたとき、ふと思い出してみてください。アセクシュアル・アロマンティックだった(かもしれない)ニコラ・テスラのことを…。

アセクシュアル・アロマンティックだった(かもしれない)ニコラ・テスラが日常化させた電気の光は、今日も様々な人を平等に照らしています。