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アセクシュアル・アロマンティックになりたいです。自分の意思でなれますか?

Aセク・Aロマになりたい?
Q
アセクシュアル(アセクシャル)やアロマンティックになりたいのですが、自分の意思でなることはできますか?
A

自らの意思でアセクシュアルやアロマンティックになることはできません。性的指向や恋愛的指向はそもそもそういうものではありません。

「選択」ではなく「認識」だから

こうはい
こうはい

ちょっと聞いてください!

せんぱい
せんぱい

え、何? 急に…。

こうはい
こうはい

アセクシュアルやアロマンティックになりたい!って言っている人がいたんです。

せんぱい
せんぱい

あらら…。

こうはい
こうはい

アセクシュアルやアロマンティックってなりたいと思ったらなれるもの何ですか? 違いますよね?

せんぱい
せんぱい

そうだね。イチから説明しようか…。アセクシュアルやアロマンティックに限らないことだけど、性的指向や恋愛的指向は自分の意思で自由に「なりたいもの」になれる…というものではないよ

こうはい
こうはい

ファッションやメイクみたいに気分で付け替えたりできることじゃないっていう意味ですよね。

せんぱい
せんぱい

そういうことはできない。そもそもそういうものじゃないから。

こうはい
こうはい

「今日からアセクシュアルになろう~っと!」とか「アロマンティックで今日は過ごそう!」とか、そういう気楽な雰囲気チェンジではないってことだね。

せんぱい
せんぱい

性的指向や恋愛的指向は「選択」してそうなったわけではない。「認識」してそうだと自覚するに至ったんだ。ただ性的指向や恋愛的指向は「認識」するのに時間がかかったり、葛藤があったりするから、他者からはわかりにくいこともかもだけど。

こうはい
こうはい

認識…か。言葉以上に難しいよね。捉え方が。

せんぱい
せんぱい

「異性愛・同性愛・両性愛・無性愛」という選択肢があってどれかお好きなものをひとつを選ぶということではなく、かといって他者に勝手に決めつけられるわけでもなく、分類されてしまうわけでもない。「自分はこうだったんだ…!」という認識に至る。それが性的指向や恋愛的指向の本質の大事な部分なんじゃないかな。

こうはい
こうはい

自分自身のアイデンティティの探求みたいなものだね。

せんぱい
せんぱい

おっ…そっちの表現の方が良いかもね。

なりたいと思ったのはなぜ?

せんぱい
せんぱい

でも「アセクシュアルやアロマンティックになりたい!」と思ったのはなぜなんだろうね。

こうはい
こうはい

中には「アセクシュアルやアロマンティックだとチヤホヤされる」と思っている人もいるんじゃない?

せんぱい
せんぱい

それは偏見が理由にあるケースだね。でもマイノリティな性的指向や恋愛的指向を特権だと勘違いしている非当事者の人はいるのも残念ながら実態なんだけど…。

こうはい
こうはい

実際は特権どころか差別を受けるから損ばっかりですよね。

せんぱい
せんぱい

だから平等のために声をあげて闘っている人もいるんだけどね。

こうはい
こうはい

まあ、でも単純にわかっていない人がほとんどかも。性的指向や恋愛的指向って言葉だけが認知されても中身の正確な理解は成熟していないってことでしょ。

せんぱい
せんぱい

その無理解や知識の浅さが結果的に「アセクシュアルやアロマンティックになりたい」という発言を生んでしまうなら、やっぱり当事者にしてみれば偏見が増大するだけでツライよね。

こうはい
こうはい

当事者の人に「アセクシュアルやアロマンティックになりたい」と言ってしまったら、当事者の人は「そんなふうに思われているんだ…」と傷つくよね。

「性行為や恋愛をしない」という選択

せんぱい
せんぱい

でも私は全部が全部、偏見に基づくものだとも思わないよ。

こうはい
こうはい

なぜ?

せんぱい
せんぱい

「アセクシュアルやアロマンティックになりたい!」という言葉が飛び出す背景として他に考えられることはない?

こうはい
こうはい

う~ん…恋愛やセックスをしなくていいのはラクだからと思ったのかな?

せんぱい
せんぱい

でもアセクシュアルやアロマンティックではなくても性行為や恋愛をしないことはできるよね。それこそ選択だから。

こうはい
こうはい

そうですよね…もしかしたら口実が欲しかったのかな。世間を納得させられるような理由が…。

せんぱい
せんぱい

だとしたらそれだけ「性行為や恋愛をしない」ことを選択するのは世の中では難しいということの証左でもあるよね。

こうはい
こうはい

まあ、そうかもしれないですね。

せんぱい
せんぱい

別にアセクシュアルやアロマンティックではなくても「性行為や恋愛をしない」という選択はあるし、その道を選んでもいいんだよ。逆にアセクシュアルやアロマンティックでない人は絶対に性行為や恋愛をしなくてはいけない…なんて恐ろしい強制社会だよね。

こうはい
こうはい

自由がないよね…。

せんぱい
せんぱい

「今日は仕事で疲れたからセックスはしたくない」「嫌なこと続きで気持ちが荒れているから恋愛ではなく心のケアに専念したい」「明日のデートだけど今回は性行為まではしたいと思ってない」…そういうもろもろの「性行為や恋愛をしない」という日常の“気分”ってあると思うんだよ。

こうはい
こうはい

確かにある…よくあるというべきかも…。

せんぱい
せんぱい

残念ながら日本では「性的同意」が軽視されていることも多い。性教育でもちゃんと教わっていないこともあるからね。

こうはい
こうはい

したくないのにせざるを得ない空気に押されてしまった人もいるよね…。それを嫌だと思うのは当然だよ。

せんぱい
せんぱい

もしかしたら毎日恋人から性行為を強要されていてそれに疲れたからアセクシュアルということにすれば性行為を受け入れない言い訳になる…と考えて、苦肉の策で「アセクシュアルになりたい」と思った人も…いるかもしれない。だからそういう人のことも想定すると安易に「偏見だ」と叱りつけたりもできない。

こうはい
こうはい

まあ、そうですね…。

せんぱい
せんぱい

個人の性的指向や恋愛的指向の結果としての「性行為や恋愛をしない」と、個人の日常的な選択としての「性行為や恋愛をしない」は、区別されるべきことだけど、どちらも本人の人生に関わる大切なことだから尊重されるべきだと思うよ。

こうはい
こうはい

性的指向や恋愛的指向とは関係がない感情としての「性行為や恋愛をしたくない」ってやつだね。

せんぱい
せんぱい

このサイトではアセクシュアルやアロマンティックを扱うから、基本は性的指向や恋愛的指向に関することをテーマにしている。でもだからといって個人の日常的な選択としての「性行為や恋愛をしない」をないがしろにするつもりもないからね。

こうはい
こうはい

それも平等に丁寧に扱わないとね。

せんぱい
せんぱい

だからもし日々の性行為や恋愛に関する押し付け・圧力で、自分の意思が尊重されずにうんざりした結果として「アセクシュアルやアロマンティックになりたい」と思った人がいるなら、大丈夫。アセクシュアルやアロマンティックでなくても無理に性行為や恋愛をしなくていいからね。みんなには選択の自由もあるのだから。

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編集部コメント

自ら望んでアセクシュアルやアロマンティックになれるわけではありません。性的指向や恋愛的指向は「選択」ではないことを重々理解してください。しかし、一方で「性行為や恋愛をしない」のはアセクシュアルやアロマンティックではなくても選択することはできますし、大事な選択肢です。