- Qアセクシュアル(アセクシャル)やアロマンティックは治すことができますか?
- A
いいえ。そもそも治すものではありません。治療の必要はないです。
治療する? 治す?
自分や他者について、治したい、治してほしいことってある?
私はすぐ緊張しちゃうからこれは治したいです。あと、私の親戚のひとりは身長が低いのを気にしていて頑張って伸ばそうとしてますよ。
なるほど。背が低くても変ではないけど、人それぞれいろいろあるね。
他者に性的に惹かれない「アセクシュアル」や、他者に恋愛的に惹かれない「アロマンティック」…これって「治す」みたいなことはできるのですか?
まず一般的に「治す」というのは「治療する」と同じで病気や怪我に対して使われるけど、別の疑問解決で説明したけど、アセクシュアルやアロマンティックは病気ではないのでそもそも治す必要性もないよ。
そうですよね。病気ではないのだから治すも何もないというのは。
当然、アセクシュアルやアロマンティックを治すための薬があるわけでもないし、他の治療方法やリハビリがあるわけでもない。
でも病気じゃないのはわかったのだけど、左利きの人が右利きに直すとか、野菜嫌いを改善するとか、そういう感じと同じことはできないの?
そういうことと一緒くたにすべきではないだろうね。そもそもそれらだって治すのがいいのかという議論はあると思うけど、今はアセクシュアルやアロマンティックを論点にしているのでそれだけを語ると、これらは性的指向や恋愛的指向だ。どれが正しいというわけではないのだから、矯正するものではない。
う~ん、そうなのか~。
そしてこの論点に関してはやはりこれを語らないといけないだろう。
転向療法という恐ろしい歴史
そんな語るべきことがあるんですか?
うん。「転向療法」というものを知っているかな?
転向…療法…?
英語では「コンバージョン・セラピー(Conversion therapy)」と呼んだりする。
セラピーということは何かしらの医療行為なのかな。
そう思うよね。これは個人の性的指向を心理的または精神的介入によって変更する試みのことを言うんだ。
つまり、同性愛や無性愛を異性愛に変えるとか、そういうこと? そんなこと実際に行われているの?
そうだ。転向療法は歴史がある。例えば、1800年代後半から1900年代前半にかけて精神分析の権威として著名となったジークムント・フロイトは同性愛を治療できると主張したし、その娘のアンナ・フロイトも治療に成功したと報告している。それ以降、転向療法を実施する病院や組織がたくさん登場して、多くの当事者が半ば強制的にそこに入所することになったんだよ。
そこでは一体何をするの?
本当にいろいろ。カウンセリング、ホルモン療法、祈り、ロボトミーと呼ばれる脳の一部切除なんかも…。
うわぁ…。
でも今は多くの科学団体、医学団体、当事者団体がこの転向療法は科学的に根拠がなく、有害であると声を揃えて主張しているよ。実際、この転向療法によって精神が滅茶苦茶になり、人生を壊され、自殺をしてしまった人も少なくない。
それは…悲しい歴史だね…。
今も転向療法はアメリカなどで実施されているところがあるけど、そのほとんどが宗教団体が推進しており、宗教的正当性を掲げている。要するに科学でも何でもないんだ。日本でも転向療法を主張する人がいるけど、たいていは保守的な家族社会を支持する政治家なんかと繋がっている。政治的な動機で動いているだけだ。
疑似科学みたいなものかな。それを悪用する宗教や政治があるということか…。
そうだね。だから性的指向や恋愛的指向を「治療・矯正」するなんて、たとえ当人のことを想っていたとしても気安く言える話ではない。そこには歴史的におぞましい犠牲を出した事実があり、人類が犯した罪のひとつだ。
アセクシュアルやアロマンティックなんて治せばいいって気軽に言い放つ人はいると思うけど、こんな重い歴史があるんだね…。
アセクシュアルやアロマンティックの場合、転向療法とまではいかないにせよ、「恋人を作れ」とか「性行為を経験すればわかる」とか、そういう言葉のひとつひとつが転向療法と同じようなダメージを当事者に与えている。これについては真剣に考えてほしいことだね。
自分を否定しなくていい
食い下がっているみたいで悪いのですけど…。もし当事者がそう望んだら? アセクシュアルを治して異性愛者になりたいと思ったらどうするの?
どうしてそう考えるようになったのか。まずそこが大事だよね。アセクシュアルである自分を嫌だと思っているのか。異性愛に憧れがあるのか。それはもしかしたらアセクシュアルであるだけで差別や偏見を受けるのがツラくてそう考えたのかもしれない。身を守りたいという防衛の気持ちとして。
うん、まあ、そうかもね。
だとしたら仮にアセクシュアルを治して異性愛者になれたとしてもきっとツライままだろう。アセクシュアルが差別を受ける事実は変わらないのだから。
そうだね…。
「私はアセクシュアルの自分が嫌いだ。自分を好きになれない」という人もいる。孤独や疎外感に耐え切れない人もいると思う。それは本当に苦しいことだ。すっごくキツイ。でも自分を否定するために自分のアイデンティティを強制的に変えようとしても、おそらく当人が傷つくだけで終わってしまうことがほとんどだと思う。
う~ん、苦しいよね…。
じゃあ、どうすればいいのか。当事者コミュニティやサポート支援団体に参加してみるのもいいと思う。リアルでの集まりに加わるのが恥ずかしいなら、オンライン上でフォローするとかでもいい。自分は独りじゃない、仲間がいるという感覚を持つことは、自己肯定への第1歩だよ。
それならできそうだね。
無理に「アセクシュアルやアロマンティックに誇りを持て!」と強要するつもりはない。ただ自分を否定する必要はないよということ。そうやってちょっと時間をかけてみてほしい。その後にアセクシュアルやアロマンティックを治して異性愛者になりたいと思っているか、それはあなたしだいだけど…。
アセクシュアルやアロマンティックという自分に向き合うことで自分自身の意識が変わるかもね。治すんじゃなくて。
当事者の周囲にいる人たちは、当事者を治すことではなくて、差別や偏見を社会から取り除くことを第一に考えてほしい。治すべきは社会そのものなのだから。
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編集部コメント
アセクシュアルやアロマンティックは性的指向や恋愛的指向であり、治る・治せるようなものではそもそもありません。「アセクシュアルやアロマンティックは治せる」という言葉は、当事者をより苦しめることになります。悪気はなくても言っていいことではなく、差別的な発言として受け止められるでしょう。また、「アセクシュアルやアロマンティックは治せる」と主張する悪質な詐欺などがあるかもしれないのでじゅうぶんに注意をしてください。
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