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アセクシュアル(アセクシャル)の人は同性愛者と勘違いされやすいのはなぜですか?

Aセクは同性愛者と間違われる?
Q
アセクシュアル(アセクシャル)の人が同性愛者と勘違いされることが起きやすいのはなぜですか?
A

性的指向として同性愛よりも無性愛(アセクシュアル)の方が想定されづらいためです。このため、アセクシュアルは「見えない性的指向」と呼ばれたりもしています。

異性と恋愛しない=同性愛者?

せんぱい
せんぱい

他人から「あなたの性的指向は?」と質問されることはあまりないと思うけど、ぶしつけに聞いてきたりする人はいるよね。

こうはい
こうはい

ちょっと失礼だけどね。

せんぱい
せんぱい

こういうとき、アセクシュアルの人は同性愛者だと勘違いされることがあって、不愉快に思う当事者も少なくないよ。

こうはい
こうはい

どういうこと?

せんぱい
せんぱい

例えば、アセクシュアル・アロマンティックの人で誰とも恋愛関係を持っていないとする。すると周囲の人々、たいていはマジョリティな異性愛者だね、そういう周りの人から「あの人って異性と恋愛していなから、同性愛者なのかな?」と疑われてしまう。こういう流れだね。

こうはい
こうはい

なるほど。「異性と恋愛してない=隠れて同性と恋愛しているのでは?」という連想になってしまうんだね。

せんぱい
せんぱい

うん。もちろんこれは常にそう思われるというわけではないけどね。異性愛規範がとても濃い人々なら、そもそも同性愛者だと想定すらもしないと思うし…。

こうはい
こうはい

差別が根強い人々に囲まれていれば、そんな話題もあがらないだろうね。

せんぱい
せんぱい

とにかく一般的な傾向として、アセクシュアルの人は同性愛者に間違われやすい傾向はあるのは確かだね。

見えない性的指向

せんぱい
せんぱい

勘違いしないように強調しておくけど、「アセクシュアルの人は同性愛者だと勘違いされることがあって、不愉快に思う当事者もいる」というのは、別に同性愛者を嫌っているとかそういう意味ではないよ。これは同性愛嫌悪(ホモフォビア)ではない。

こうはい
こうはい

自分の性的指向を間違われたことが不愉快なんだよね。

せんぱい
せんぱい

そう。勝手に自分の性的指向を断定されて、しかもそれが間違っていたら、嫌な気持ちになるのも当然だよね。

こうはい
こうはい

でもなんでアセクシュアルの人は間違われやすいの?

せんぱい
せんぱい

大事な質問だね。その理由は、アセクシュアルという性的指向は異性愛や同性愛と比べて想定されないことが多いからだね。

こうはい
こうはい

つまり…この世には異性愛と同性愛しかないと思われてるってこと?

せんぱい
せんぱい

うん。同じ理由で両性愛(バイセクシュアル)や全性愛(パンセクシュアル)も想定されづらい性的指向なのだけど、アセクシュアルはことさらその傾向が強いと言われている。

こうはい
こうはい

アセクシュアルはとくに?

せんぱい
せんぱい

例えば考えてほしいのだけど、同性愛者の人は「あなたってアセクシュアル?」と言われることはどれくらいあるだろうか。それよりもアセクシュアルの人が「あなたってゲイorレズビアン?」と言われることの方が頻繁にあるはずだよ。

こうはい
こうはい

同じマイノリティでもその点では状況が違うんだね。

せんぱい
せんぱい

そう、これはどっちもどっちではない。アセクシュアル特有の差別構造が背景にあるからなんだ。

こうはい
こうはい

なんでそんなことになっているんだろう?

せんぱい
せんぱい

それはやっぱりアセクシュアルの認知度の低さも大きな原因になっているだろうし、「(異性であれ同性であれ)人は恋愛や性的関係を持つものだ」という偏見に基づいた規範が社会にこびりついているのも理由だろうね。

こうはい
こうはい

そういう偏見のせいでアセクシュアルの人は自分の性的指向を理解してもらえず、想定されない世界でずっと身を置いているんだね…。

せんぱい
せんぱい

こうした事情からアセクシュアルは「見えない性的指向」と呼ばれたりするんだ。世間からは見えていないということだね。

こうはい
こうはい

見えない性的指向…かぁ。

せんぱい
せんぱい

アセクシュアル当事者の中には皮肉を込めて「自分は透明人間みたいなもの」と言ったりすることもある。ともあれアセクシュアルの人にとって「見えない」「透明」というワードは切っても切り離せない現状があるんだよね。

こうはい
こうはい

当事者には無視できない苦しさだね。

せんぱい
せんぱい

この「アセクシュアルが認識されない・想定されない」というのはアセクシュアル特有の偏見や差別であり、これらを「Aphobia(Aフォビア)」もしくは「Acephobia(エースフォビア)」と呼んだりするよ。

当事者は日々痛感している

せんぱい
せんぱい

こういう「アセクシュアルを世間は想定すらしていない」という実情は、当事者なら日々痛感していることだと思う。それは日常会話や社会制度だけでなく、例えば、LGBTQを描く創作物でも実感したりする。

こうはい
こうはい

創作物って、映画とかドラマとか?

せんぱい
せんぱい

うん。LGBTQをテーマにした作品があったとして、そこにゲイやレズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダーが登場しても、アセクシュアルはでてこない…とか。

こうはい
こうはい

なるほど。そういうやつね。

せんぱい
せんぱい

他にも、恋愛ドラマの中で、異性との関係に興味がないキャラクターが登場して、作中のどの人物も「じゃあ、その人は同性愛者だろう」と即決で想定して物語が進行したり…。はたまた、歴史上の人物を題材にするとき、その人が異性と恋愛関係を持った事実の記録がないからといって、安直に同性愛者と決めつけて作品化してしまったり…。

こうはい
こうはい

見えない性的指向と言われるだけあって、酷いありさまだね…。

勝手に決めつけるのはやめよう

せんぱい
せんぱい

でもこれも覚えておいてほしいことだけど、今回は「アセクシュアルの人は同性愛者と勘違いされやすい」として、まるで無性愛と同性愛を一致しない関係のように扱ったけど、アセクシュアルの人の中には同性愛者もいるからね。

こうはい
こうはい

うんうん。

せんぱい
せんぱい

性的関係を持たないアセクシュアルだけど同性とは恋愛関係を持つホモロマンティックな人もいるし、アセクシュアルでアロマンティックだけど他の魅力に基づいて同性となら関係を構築する人もいる。そういう人たちのことも想定しておこうね。

こうはい
こうはい

そうだね。アセクシュアルと言ってもいろいろな人がいるからね。

せんぱい
せんぱい

大切なのは、相手の性的指向も恋愛的指向も決めつけないということ。相手の意思を尊重し、丁寧に扱うということ。自分は想定していない何かがあるのではないかと常に疑うこと。

こうはい
こうはい

あとやっぱり相手の性的指向を聞いたりしてはダメだね。

せんぱい
せんぱい

そうだね。性的指向というのは本人のプライバシーなので、本人の意思で公表するのが大前提だ。もちろん公表を強制してもいけない。勝手に決めつける事態は少しでも減らす努力をすべきだろうね。弱い立場にいる人が苦しい思いをしないためにも。

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編集部コメント

性的指向は異性愛と同性愛だけではありません。アセクシュアルやアロマンティックといったAスペクトラムの人々は常に社会に存在しています。必ず想定をするようにしてください。